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父親であることはどれほど有意義で誇り高きことなのか僕にとっては長らく疑問だ。

核家族が増えるなかで父性における家長的役割は減って来ている。
確かにいまでも父親が稼ぐことが一般的で、家庭の方向性も父親の収入から準拠した予算によって決められがちだ。
しかしその権力は一過性のものでしかない。

核家族の子は別の核家族の子と結ばれると、新たな核家族を形成する。
新たな核家族が生まれた時、それぞれの父親は残りの子供の数から差し引いた分だけ力を失う。

父性が弱まってなお男性である父親はどれほどいるだろうか。
それに対して母親は多く母性を得た時点で女性であることよりも母親であることに努めて子が巣立とうともあまり変わらない。
目的を果たし方向性を失ったとしても未だに根強く残る女は家庭を予算内にて維持するという性質は失われないからだ。

残った二人は父母としての性質か夫婦としての性質か、果たしてどちらが強いのか。
小津安二郎の映画「東京物語」 にはその一例が明らかに示されている。
しかし現代の父親はこう行くのか、僕には疑問だ。
彼らはこの頃よりもっと個人主義的で、その分だけ強欲だから。
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