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叫び上げる子供を放し飼いにする母親たちは傲慢だ。
誰だって親になる権利を持っており、それを行使したからといって
行使しなかった人間より偉くなるなんてことはない。

偉くなると思っていながら育休を使っても使わなかった人間と同等に扱われなければならないと
そう主張するのだから事態は矛盾している。

またよしんば母親が偉い存在だとしよう
幼い子を持つ母親が公共の場で優先される等の何かしら保護的な配慮があったとして
そういったものをもらって当然だという態度は、果たして当然だろうか。

公共の場が、公共性を維持できているのは道徳と、それを守ることによる秩序だ
現行の道徳教育が正しいかや習慣にとらわれない個人主義が云々はひとまずよそへやってしまおう
すくなくとも国家は独裁主義や貴族制、絶対君主制でないのなら
民主主義的国家は国民の民主主義精神によってたがいに尊重し合い、
それによって秩序が保たれることを理想とする。

平和は戦いや争いのない状態のことではない。
二つの主張がぶつかったときにそれらが問題なく満足させられた状態のことだ。
なのでつまるところ、バスなどで子供がお得意の耳鳴り声を上げるとき
他の乗客は子供のことだからしかたないと我慢する一方
母親も配慮されてることへ配慮して謝辞があってこそ世界は円満なのではないか。

世の中には謝る事を自分の負けのように思い、
それを意地でもしないことでつまらないプライドを保っている人間もいるが
あやまりたくなければせいぜい子供をしつけることだ。
プライドがあるということは自分は優秀だと思っているからで、優秀であるなら子供のしつけくらいわけないはずだ。

というか、母親のあの何があっても悪いのは他の女であって断じて自分ではない精神がどうにかなればそれですむことなのだ。
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