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児童虐待は唾棄すべき悪だとしても、それ以上に、どのようにして虐待する母親は誕生するんだろう。
我が子にしつけどころじゃない制裁を加える心理は錯乱に近いものがあるなじゃないか。

錯乱の要素はさまざまに考えられる。
望まない妊娠などはよくあるものだ。
中絶の多さもさることながら、中絶しないで出産することへの美化も悪しき風潮だ。

母親になる準備も覚悟もないままに出産は素晴らしいものという思想のみで産んでしまう。
育児の大変さ、遊び盛りに遊べないことへのいらだち、望んでいなかった存在のせいで自分の未来が収縮していくような絶望感。
それら負の感情が、いたいけで無力で無知で自分にしか頼らないことに、次第に怒りが湧き、一線を越えてついに暴力を振るっても、現状が変わらないかぎり、その興奮状態はおさまらない。

物事の全面が美しいなんてことはありえないので、何かを美化して感動する映画やドラマが出来た場合、そこには必ず黙殺された現実がある。

以前見たUnstoppableという映画では解雇された男二人が暴走列車を止めて、現場を理解しない社長の鼻を明かしてハッピーエンドとしているが、映画が終わったのちに続きがあれば必ず二人はクビなままだろう。

関係ないが、あの映画で最も印象に残ったのは会社に命令されるままに列車を止めようとして爆死した同僚と列車を暴走させておいて素知らぬ顔で主人公を応援するデブだった。この二人と筋書き上悪役にさせられてしまった社長が映画内では最も人間的だが、現実に起きた事件の解決者を美化するためにその人間性を黙殺されている。

すべての暴力母親がこの美化に騙されて生んだ結果そうなったはずもないが、片親で子供と二人だけの環境で錯乱したり、生活保護で社会との明確な連絡がなくなって常識を失い世界にたった一人で生きている母親などは多く目にして来た。
ピンと来ない人は津島佑子の「寵児」を読めばなんとなくわかると思う。丸投げである。
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