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あらゆる場所に花束が…… 中原昌也

 この小説は熱病的に脈絡無く連結していく夢のような憎悪の塊で、ばからしく笑って読めない人々へ送られる菊の花束だろう。
 その証拠に、この小説は実験的な現代小説と呼ぶにはあまりに読みやすい。
 現代的なのは事実だが、この読みやすさは無茶苦茶であるにしても個々の、みじかく憎悪以外の色にかけた描写のなかで、わずかにでも自分の色を持った人や物がとりあえずは連絡されていることにある。
 人が物語を読んで面白いと思うときは、文章のなかに顔を出した事物が他の事物へ繋がって行くのを追えるときのことで、これはとにかく伏線さえあればありがたがる現在のマンガ・アニメ業界にも言えることだが、事物の繋がりのなかでストーリーは曖昧であるときに、読者はそこに神秘性を見る。
 読者の理解を超えた事物の連絡を、それでも読者が理解しようとつとめるときに、物語のなかに充満するイメージからヒントを得て、なにか止揚に至れる点はないか模索しようとすれば、どう考えてもそこにあるのは憎悪ばかりだ。
 それが花束だった。

 この小説において最も感心したのは、キャラクターを容易く区別、あるいは特殊化するためにラノベなどが変わった名字を模索するなかで、中原昌也は小林や岡田など平凡な名前に一瞬で強烈な印象をつけてしまうところだ。
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