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母は年を取れば取るほど、ますます疑い深くなって行ったような人であった。
 島崎藤村 「食堂」

愛されるかどうかで人の性格が変われるのかわからないけれど、この話の筋に関係はないにしても、年をとればとるほど、本来の性格のどんどん悪い方向へきつくなっていく人は愛されなかった人間が多いのだろうか。

そういった筋のドラマや映画は掃いて捨てようにも処理場問題の起こるほどいっぱいあるけれど、愛されなかった人間が曲がった傾向を盆栽のように強くしていくというのは言い訳で、実際は人であれ物であれ、何も愛さなかったからこそ曲がっていく。

生まれつき愛す愛さないのわからない手合いがいる。世の中で愛が語られすぎて愛を知る前に愛がなにかわからない永遠のゲシュタルト崩壊へ陥っている。異性とやっちゃって気持ちよくてああきっとこれが愛なんだろうと推測して、道行く美人を見かけては竿おっ立ててああ愛してるという手合い。自称虚無主義者、この世に意味なんてないからと、永遠の中二病こじらせて、スレたような顔して両ポケットに手を入れて、壁に寄りかかりながら竿はびんびん、虚しい虚しい、しゅっしゅっしゅっしゅ、死が怖くて愛す暇も愛されていることに気づく余裕もあるか、オナニーだけが忘れる手段だ、死の恐怖 オナニーしとけば 怖くない、おかずはどこだペットはどこだ、贅沢言えば生身がほしい、オナニー依存で死を克服、腹上死とはこれ男の夢のまた夢、俺の終わりは竿握ってチン上死。

なぜだか知らないけれど自分を実際以上に過剰評価していかなる犠牲も払えない人間がいる。そしてそう言う人はなぜだか世の中のすべてを知った気で要る。誰にでも訪れる自分が何も無いちっぽけな人間だと感じる年齢のときに、そこから脱出しようとみんな模索するけれど、彼は自分がちっぽけであってもそれを見破られてはならないからと自分ですべてを決めつけてやって、自分は決めつける立場の人間だと思い込んで、決めつけられるいわれはない顔をするようになる。

そして愛されないままそれが年月を経ると、未熟な頃の偏見をちっぽけなプライドにかかずらって改めないまま年をとった子供っぽい老人ができあがる。
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