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 人が愛を感じるとき、それはしばしば単なる発汗作用であったりする。という悪趣味な文章の書かれたシャツを来た外国人を多久は先日見たと言う。バー・ミカエルでは飴色の照明が温かく店内を浮かばせるなか葉月と美幸が甘い甘いミントジュレップをかき混ぜかき混ぜしていて、返事をしない。
「愛と恋と性欲と、どうやって区別するべきなんだろうね」と多久はグラスを磨いて言う。どうもすることがないので磨き終わると一面に指紋をつけてまた磨いているのだ。
「そんなの区別する必要がないんじゃない?」と美幸はミントジュレップの方へ睫毛を向けたまま言う。「愛だ恋だを口にすると醜男に見えるぞー」と葉月はミントジュレップから顔を上げて多久に笑いかける。奥の方の席では壮年の男が壮年の女を口説いていた。どれだけ笑っても眼が笑うのを忘れるあたりから、恐らく彼は実業家だろう、唯物的世界にてどっぷりと浸かりがたの来た体を唯心的なほがらかな酒の燻りの中で癒そうというのか。
「醜男醜女のかけひきなんてアジフライに醤油かソースかという論争よりどうでもいいよねー!」と葉月は言う。
「そんなこと言ったら可愛そうだぞ、別に彼らだってなりたくてなったわけじゃないんだから。だけど俺は醤油かな日本人として」と多久は食掛る。
「産みたてほやほやの時は誰でもかわいいんだからそっから醜くなってくのは努力不足のたまものだよー、それにフライにしてる時点で西洋的な日本食なんだからソースでしょー思考狂ってんじゃないのー?」
「相変わらず性格悪いね葉月は」と美幸はもはや義務であるかのように細く長くやわらかな指でマドラーを執拗に回し続ける。
「それは赤ちゃんがかわいいものだからであって赤ちゃんにも美醜はあるけどそんなの問題じゃないのと一緒だよ、しかもフライにソースじゃ鯵であること以外に和を感じさせないだろ、二対一で洋食になってしまうだろ、だけど海外じゃ鯵フライなんてださない。それはつまりアジフライが日本の料理だということであって、日本料理であるからこそ日本の調味料で頂くべきだろ」
「そんなわけないじゃん、醜い人はもともと顔の良い人ほど自分を良く見せるための努力が実らないから諦めちゃってるんだよー、美人でも綺麗であろうとすることをやめるわけじゃないのに、美人になることがゴールになってる時点で劣ってるんだよー、それどころかアジフライが日本料理だとしても醤油とフライの相性がそもそも悪いでしょートンカツに一人で醤油どばどばかけて食っとけって感じー!」
「それに同情しようとは思わないの? だけどその衣の内側にあるネタは鯵なんだぞ、豚じゃないんだから日本人が古くから親しんで来た醤油でいただくべきでしょ、トンカツはソースをつけるだろうけど」
「向こうは同情されたくもないだろうしそうプライドだけが高いからこそなんだよねーていうか日本人として青魚を醤油で食べる方がおかしいでしょー青魚は香りを足して食べるものだよー舌狂ってるんじゃなーい? だからこそ多種のスパイスが入ってるソースの方がフライっていう洋の風味も和の風味もちょうどよく保ってることもわかんないのー?」
「二人とももうアジフライの話がメインだね」とようやく納得できる量に氷を溶かしたミントジュレップを口にした美幸がそれを口にして言った。
 白熱した二人は焼け石を海に落としたように黙り、店内にかかっていたハービー・ハンコックの音楽もなり止んでしまうと、「俺が責任を取る」という男の声が店内に聞こえ、美幸は壮年の男が壮年の女の膝の上に合わされた手の指環のはめられた薬指の隣、中指のあたりにそっと手を触れたのを見た。そして壮年の男女が高級な服としおれかけた肌のしっくりと来る対極をこちらに見せながら戸をくぐっていったのを三人の若者が見送ると、葉月もようやくミントジュレップを口にした。極度に薄められたそのカクテルは持ち味の強烈な甘みを失っていた。きまり悪げに多久が、
「美幸はアジフライは何派?」と話を蒸し返したが、美幸は何もかもがあたりまえかのようないつもの眼で多久と葉月を見つめた。
「レモンと塩」
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