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とんまにもいろいろあるが
ここで僕が考察してみたいのは演技的人間についてだ
自分を客観視しているつもりで、あまつさえ自分を演じているつもりの人間がいる
彼らは自分がとりわけ他人より優れた頭脳や感覚を持っていて
それによって他人が感情や情熱によってのみ行動することを愚かだと決めつけて斜に構えている
一匹狼を決め込んでいる若い男性に多く、また外見での戦いを諦めた女性にも多い
この類いの人間は実のところ何に対しても即座に対応できないだけなのだ
ぱっと吹きこぼれそうな鍋が眼に入って「危ない!」とすぐに火を消すのでなく
鍋に沸かされている湯が吹きこぼれそうである。吹きこぼれないように止めなければならない。どうしようか。火を止めるべきだな。火を止めた。よしこれで吹きこぼれないだろう。と思考し行動して自分の頭脳の明晰さ加減に酔う。そしてここで彼にとって大事なのは火を止めて吹きこぼれるのを未然に防いだことでなく、未然に防ぐことを冷静に行った自分なのである。
自己愛には何種類かあり、おおまかには外的な部分と内的な部分にわかれる。
自分がすばらしいことを他人にも認めてもらいたいのが外的な自己愛
他人の意見などどうでもよく自分が愛おしくてたまらなくそれで満足なのが内的な自己愛
そしてこの手の人間はその両方を兼ね備えている
自分は優秀でありその優秀さ加減に酔いしれており、それと同時に自分がどうして優秀かの証拠として他人はこんなに馬鹿なんだからと考えるためである。
自分を優秀だと思っていて他人を馬鹿だと思っている人間にもとんまなんかでなく本当に優秀なのがいるが、これととんまが違うのは実績があるかないかである
この種のとんまはみんな実績なき天才である
なぜなら彼らのなかで自分は生まれつき天才であり、他人は天才でないからである。他人が天才でないんだから自分こそが天才なんだろうという奇特な考えである。
この種の人間はたとえば会議などがあればしかつめらしく聞いていて一人一人の意見に「なるほどね、そう言うでしょうね」という顔でうなずいでばかりいて、肝心の自分の意見を尋ねられると、ふむ、と考え込んでいつまでも答えない。とても真剣に考えているのだ自分はそれもおまえら凡才よりもはるかに難しいことを考えているのだから答えには時間がかかるのだ、という言い訳をすべて込めて「ふむ」と言うばかりである。そして会議が終わると安心して「あの程度の意見しかでないのか」とのたまうのだ。
彼らの問題は他人を馬鹿にしていることではない。誰だって他人を馬鹿にしている。
問題は長年の賢そうな人間という自然な演技のために一見しただけでは優秀な人間に見えてしまうのだ。彼らを見極める簡単な方法は下ねたや恋愛の話を振ることだろうか。彼らはそのめんどくさい自己愛性によって異性にはなかなか好かれないし、また性的な話を下衆だと口にするのも嫌がる傾向があるので、そういった話をして照れや羞恥でなくいやそうな顔をして返事がないようであればそういうとんまであるか童貞と見ていいだろう。
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